聖観世音菩薩

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【車の場合】東海北陸道・美濃ICより国道156号線を経由して10分。普通車10台駐車可。大型車は門前の県道に30分程度駐車可。

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寺 史

 当寺は、その昔天台宗でありまして、寺の名称も廬山大悲院と呼ばれておりました。
 人皇八十代高倉天皇御在位の頃、凡そ、八百年前、藤原の末期の創建であります。開山は覚阿上人と云います。山号を廬山と称するのは、中国淅江省の杭州武林山北に在る、廬山霊隠寺という名刹を真似たものです。霊隠寺は、中国禅院五山と称して有名なる古道場です。
 当寺、京都比叡山で修業中の覚阿上人は、承安元年(1171年)の秋、海を越えて杭州に赴かれました。中国では南宗の考宗帝乾道七年といいます。
上人は霊院寺に至り、恵遠大師という高僧に会われ、修業されました。「上人大師に会う、大師来由を問う、上人書を呈して答ふ夫より留して遂に大師の法嗣となる。」と故事に記録されてあります。
 覚阿上人は帰朝して直ちに現今の廬山大悲院を創設されました。その時、開山様を霊院の弁学正覚恵遠大師を勧請始祖として、位牌を安置され、現在も大事に守っております。
 記録や本山書上等には、恵遠大師の創開と伝わっておりますが、其の後の事跡は残念ながら五百年の間、明らかになっておりません。
 現在の禅宗寺院になったのは、ずっと後の事で、寛永4年(1628年)清泰寺第四世の梁屋和尚が荒れ果てた堂宇を初めて、禅宗寺院として復興されその基を開かれました。その50年程度後貞享2年梁屋和尚の弟子である、蜜岩老師が恵遠大師の徳風を慕って一連の禅道場の創建を発願されました。
 師の記述の中に「濃東の虎渓山は、山にして深し、濃西の谷汲山は山にして浅し、廬山の山たるや山にして深く、山にして浅く秀たり」とありますから虎渓山や谷汲山に匹敵する規模であったろうと思われます。事実、寺に伝わる、元禄年間に描かれた絵図面(市重要文化財)を見ますと、かなりの規模であります。
 こうして、約2年の工事の後、元禄元年に現在の大悲院が創建されました。
寛保2年8月4日に、鹿苑寺と改号されております。
 絵図によれば、大悲院とは正に一山の総称であり、山内に六坊があり、昔は輪番制の古道場であった事がうかがわれます。
 750年余りを経過して、大正5年2月立花和田野、南林寺跡地に移り、現在に至っております。
 その時、観音堂、弁天堂を合併して、仏堂としております。
 御本尊聖観世音菩薩(県重要文化財)は、聖徳太子御作仏として、聖徳太子像と共にお祭りしてあります。
 往古より、安産、子育ての観音様として、参拝者があり、現在では、受験合格祈願などでにぎわい、又、美濃西国三十三番霊場の二番札所としても善男善女が集ってこられます。
 古来より、秘仏として、17年目毎に、開扉修行する事と記録にあります。毎年2月18日は、初観音の大祭を勤めております。


年中行事
2月18日 観音大祭


 
 
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