十一面観世音菩薩

 

見て御座る

 私たちは、いろんな支えをいただきながら毎日を日暮させていただいております。日常茶飯事、何一つ自分一人だけでできることはありません。家族・隣人、植物・動物、天地・自然などなど、この世のありとあらゆるものに支えられ、見守られて、生かされているのが現実です。
 毎日の食事をとってみてもどうでしょう。お米を作る人、煮炊きの燃料・鍋釜・食器を作る人、調味料・水など何一つ自分で作ったものはありません。調理をしていただいた人も含め、数え切れない人の手があって、食卓に並びます。こうして多くの力に助けられ、見守られている日常です。そうした「目」を絶えず意識しながらの日暮をしようではありませんか。これらのことを一括し、感謝を込めて表現した言葉です。もちろん、観世音菩薩が慈悲の光で見ていただいていることも忘れることはできません。


交通アクセス・周辺地図

【電車・バスの場合】名鉄岐阜駅より美濃行きまたは中濃庁舎行きの岐阜バスにて40分、「跡部」下車、徒歩15分。
【車の場合】東海環状自動車道・関広見ICより5分。跡部バス停付近から3分。駐車場あり。大型車7台、普通車40台可。

周辺地図

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寺 史

 当寺は、人皇第45代聖武天皇の勅命により天平17年(749年)名僧行基菩薩により開創された。
 今、その因縁をたずねると、人皇第25代武烈天皇の御子大跡部王子は、父帝王の悪政を厭い、都を出でて、丹後千振の浜・伊勢国出輪の山中へと移り給いたが御心に敵さず、ついに当地に御移りになり、十余年後の継体天皇20年(526年)薨去され、王塚(現存)に埋葬された。
 星霜相移り聖武天皇の世、諸国を勧進中の行基菩薩は、帝王脳病に罹られ、危篤なることを知らされ、その平癒を祈願するため、天皇家因縁勝地跡部に梵刹を建立することを思いたち、法華経一千部を石に書し、三方の山に埋め、6尺5寸に及ぶ十一面観音の尊像を彫まれ(現存)、丁重なる祈願法要を営まれた。よって帝王の脳病はたちまち快復されたという。天皇はこのことをことのほかお喜びになり、勅宣を以って広大な伽藍を造営され、自らの宸筆をもって「観自在王院」の勅額を下賜された。
 その規模は山門・総門を始め、金堂・五重塔等所謂天平の寺院建築様式による伽藍が完備、四辺の山辺には鎮護の明神・大権現を配し、平等院・流元寺・雲岩寺・覚性坊・清水寺・依正坊・水本坊等末寺12カ寺が林立(現在はその地名のみ残る)し、法相・真言の兼学道場として、天下にその名声を伝えた。 
 時代は下って崇徳院(人皇第75代)の御宇紀州根来寺開山覚鑁上人がこの地に来たって、その因縁に感じ不動明王の尊像を彫刻し、当山に安置(現存)せられた。以後、近衛院・高倉院等の勅命もあり繁栄を極めたが、保元・平治の乱の兵火にあって以来、たびたび罹災し、永禄7年(1564年)には、織田・斉藤両家の争乱に巻き込まれ灰燼と化した。
 寛文2年(1662年)岐阜市長良崇福寺第8世物堂和尚による中興以降は、臨済宗妙心寺派に属し、法灯を守っている。現在の景観は、第14代住職宗達和尚が生涯を賭けて整備したものである。
 往古は朝廷より絶大なる支持があり、菊紋(現代も本堂棟に菊紋瓦あり)も許された程高位別格の処遇を受け、幕政時代に至っては土地の旗本の支援、明治以降は只管区内住民の篤き護法心により強く支援されて現在に至っている。
 往古の俤は、現在も観音堂内の掲額にその概観を伝えている。
 鎮座の十一面観世音菩薩は上説の通り希有の御霊仏として、諸方信者の帰依信仰も篤い中、美濃西国三十三カ所第6番札所として、参拝者も日増しに増加しつつある。


寺 宝 ・ 見 所

観世音菩薩  
  開山行基菩薩の自刻像と伝わる。

三生軒東海猷禅妙心寺派管長顕彰碑
 老師は諱を玄達、号を猷禅、室号は三生軒。天保12年生まれ。12歳で当山恵利寺礼源和尚に就いて出家、20歳より行脚にでられ、各地の諸老師について修行。明治12年九州久留米梅林寺に晋山、境内の復興に尽力された。
 明治21・40年両度の授戒会、同23年の師礼源和尚法要に恵利寺へ帰山して得度の恩に報いられた。同38年妙心寺派管長に就任、後梅林寺に帰られ、大正6年77歳で遷化。平成15年本堂建築事業に合わせて顕彰碑を除幕した。

本堂
 平成15年檀信徒の総力を結集して完成。高塀・参道・位牌堂・東司等も合わせて落慶した。

寺宝  
 伝覚上人作不動明王 鎌倉時代筆写の大般若経600巻 伝巨勢金岡筆大元明王軸 豊臣秀吉書状ほか中近世古文書 室町期四耳壷 俳句美濃派各務支考以下歴代道統句軸 等


年中行事
1月第四土曜日  大般若会
8月第1日曜日  九万九千日
8月10日 施餓鬼会
8月下旬 観音堂祈祷会
10月第2土曜日  開山禅師毎歳忌


 
 
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