抑々当山は昔弘法大師駐錫の地にして明暦年間(1655)時の住持春長律師の頃里人当山の大門下にある武儀川の渕より光明燦然たるを見て之を探りたるに不思議なる哉薬師如来、阿弥陀如来、観世音菩薩、三体が埋もれあるを見て里人大いに驚き是を渕より救い上げ薬師如来を当山の本尊としてお祀りしたと言う霊験の伝説が遺されております。
其後宝永元年(1704)山城の国醍醐三宝院門跡より直末の令旨を賜り宝永6年3月当山中興願主普観如海律師河洲丹南郡野中寺第九世戒龍唯如大僧正を此の寺に招請し中興開山とされました。
その後師は堂塔伽藍を改築され真言律寺としての面目を一新し専ら行と加持祈祷を以ってし吾が宗祖弘法大師の法燈を拡め、又多くの子弟を教養して真言密教の一大道場を築かれたのであります。為めに近在近郷の善男善女、其の徳を慕い参詣する者日増に多くなり戒龍僧正滅後も亦高徳の僧当山を相次いで密教の奥儀を広めて来られたのであります。
こうして美濃の名刹としての寺歴をもち寺宝の古文書、絵画類等は今日地域の文化に貢献するところまことに大なるものがあります。