開山は臨済宗の高僧、東陽英朝(西暦 1428〜1504 年)創建は英朝の高弟子希雲楚見(西暦 1465年〜1536年)である。
古くからの伝承によれば、この寺の麓に希雲の教えを受け山の大半を所有する華翁頼瞬という人が、薬師如来を守護しつつ独り山中草庵を構え座禅に励んでいた。風雨激しいある日、天地を揺るがすような雷鳴と共に一瞬あたりが真っ暗になり、突然庵の傍にあった池から龍が現れ境内に聳える松をよじて雲もろとも昇天するという奇瑞を経験する。その顛末を師の希雲に告げると和尚は「『凡そ龍の現ずるところ、その地は必ず霊地である』と古来より言う。もしこの地でわが門の道場をはじめたならば正法永く伝えて興隆することであろう。」と云われた。この言葉に頼舜は大いに感じ所有するこの地を師に寄進した。時は後土御門天皇の治世で明応年間(1492〜1501年)のこととされる。ちなみにこの故事の松と池は「龍松」と「混沌池」と呼ばれている。
希雲和尚はこの寄進を受け一宇の禅刹を建て、仕えていた薬師如来の因縁にちなみ飛来元である富士山を山号と定めた。寺号は如来の称号「東方薬師瑠璃光如来」より「東光寺」と命名。開山には師東陽和尚を請じ、自らは第二世に降った。この地の寄進者頼舜は寺の開基となる。文亀年間(1501〜1504年)のことである。
以来当山の法灯は希雲和尚の慧眼にたがわず五百余年の風雪に耐え今日まで連綿と引き継がれてきた。現住は第二十七世である。
方丈のご本尊聖観世音菩薩は江戸初期の作。毎月12日の観音講には一同茶飯・建長汁等で食事を共にし、布薩、塔婆供養、ご詠歌、読経、説教など行い寺壇の交流、信仰の実践の場として今に至るまで綿々とその伝統が息づいている。
境内南に位置する高台には経堂が聳える。輪蔵形式の経蔵で、宝暦年間(1751〜1764年)に建立、すでに250年を経ている。中には黄檗版一切経が収められている。経堂のすぐ東の階段下ると鐘楼がある。そこでは毎年除夜に一般の方々の鐘撞き光景が見られる。
百聞は一見に如かず。ぜひ御来山の上、禅寺の閑静なたたずまいにしばし世事を忘れ、引いてはみなさまの己事究明の幾縁たらんことを。 |