薬師如来

鎮守衣笠大権現山
 山門遥か南方に高く雄大な姿を現す霊山、人々は朝夕この山を仰ぎ見てその日の無事を祈った。
 高富には京都の都に因んだ名が多くこの山が都の衣笠山に似ていることから衣笠山と呼ばれていた。
 西方には都の嵯峨山があり下を流れてる鳥羽川がある、北方には京ヶ洞あり、東方には北野があって小京都の観がある。この山頂には衣笠大権現が祀られていた。
 目を山麓にやれば春は桜の花咲く鷲見神社(祭神衣笠大権現)を見ることができる。
また東の山麓には高富の誇る横穴式古墳群がある、1400年ほど前のものといわれている。中からは矢尻・土器・古代剣・鏡などが発掘されている。 この地は古くから人々が住み青き山々に囲まれ川の清流に心を洗われ高富の地名となっている。


交通アクセス・周辺地図

【電車・バスの場合】名鉄岐阜駅より美濃町行きの岐阜バスにて40分、「森」下車、徒歩3分。
【車の場合】高富小学校、大垣共立銀行、岐阜信用金庫よりいずれも7分。駐車場あり。普通車5台可。大型バスは路上停車。

周辺地図

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寺 史

 寺伝によると、永暦年中(1160〜61)文武に優れた藤原頼保が、勅命により郡上の山奥に栖む大鷲を退治した。その功を称えて鷲見姓と美濃北辺の領地をたまわった。
 以来、勢力を拡げて、鷲見氏十世・保重の代に北野城(岐阜市)を築き、高富一帯をも掌中にしたが、永正七年(1510)稲葉城守護代・斉藤利良に敗れて不運にも自刃した。
 その後、再起をかけた嫡男保定は討死、二男直保と三男保光の兄弟は、無常を感じて衣笠山に始祖・郡上太郎武蔵権守藤原朝臣鷲見頼保公をまつり、衣笠大権現と命名した。併せて一宇を建立、開山は淳岩和尚。歴代祖先を供養したのが広厳寺である。


寺 宝 ・ 見 所

お助け観音さま

  時は嘉永の頃、連日の日照りで川の水も止まり田畑は真っ白、田植えも出来ず、その年の暮れは人々は餅どころか草粥さえも口に出来ず、夜になっても灯もつけられずどこも真っ暗でした。そんな或る夜のことです、寺の本堂にかすかな明かりが点りました。住職は胸さわぎを覚え、床からソーと起き上がり、覗いてみると観音様がこちらに歩いて来られる。光は観音様のお体から自然に放たれていました。驚いて見ているとそばまで来て、この様に申されました。「皆の者が食べる米もなく困っている、米という字は八に木と書く、八木(はちぼく)あるかと、聞いて回れ、無い者にはこの袋の米を与えよ」と言って消えました。住職は夜の明けるのを待って本堂の観音様を見ると左足が少し前に伸び今にも歩き出す姿となっておられました。この霊験に力を得た人々はその後あらゆる災難をも乗り越えて今日に至ったのです。


年中行事
1月1日   年賀  
1月8日   初薬師 
2月3日 節分星祭祈祷会 
4月29日   花祭り 
7月24日 水子盆供養
8月5日   施餓鬼会
12月8日 成道会 
12月31日 除夜の鐘


 
 
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