聖観世音菩薩

 世相は、年々暗くなるばかりである。自死、交通事故死、人殺し、拒食症等からの死………。
  釋尊の教えで『天上天下 唯我独尊』という有名な語がある。「天にも地にも私はたった一人であり、このいのちは誰にも代ってもらうことが出来ない、尊いいのちである。」という教えである。「私もそうなのだから、他人もまた同じように、尊いいのちなのだ。」ということになるはずだ。
  一人ひとりのいのちが、誰にも代ってもらえず代ってあげることも出来ない尊いいのちであるということをお互いに再認識しよう!!
  そうすれば、自分のいのちを大切にし、自死等をしようとする気にはならないであろう。また他人の立場に立つことができれば、人を傷つけ人を殺めるということにはならないはずである。行動を起こす前に一呼吸置き、『天上天下 唯我独尊』の語を唱えよう!!
                  住職 東海康道


交通アクセス・周辺地図

【電車・バスの場合】JR岐阜駅または名鉄岐阜駅より岐阜バスで「長良川国際会議場北口」下車。所要時間20分位。 岐阜駅前からタクシー15分。
【車の場合】名神高速道・岐阜羽島ICまたは一宮ICより40分。駐車場あり。大型2台、普通車12台可。

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寺 史
 明徳元年(1390)檀越土岐満康が太白真玄を開山に招き、大寿山崇福寺を建立。百有余年の間に衰退の道を辿る。廃寺同然になっていたのを斉藤利匡が整備し、神護山崇福弘済禅寺と改称。開山は悟渓宗頓の法嗣、独秀乾才を招請。独秀門派は、最盛期には1000ヶ寺を超えるほどであった。独秀乾才禅師は京都大徳寺第66世、妙心寺や瑞龍寺にも住し、永正11年(1514)示寂。二世は仁岫宗寿で後に妙心寺27世となる。三世は快川国師で、別伝事件で活躍。最後は、甲斐の慧林寺山門で衆僧百余名と共に、織田信忠に焼き殺されている。その時の遺偈「安禅は必ずしも山水をもちいず、心頭を滅却すれば、火自ずから涼し」は、あまりにも有名である。第四世柏堂景森は、「岐阜」の命名者ではないかと言われている。第六世一宙東黙、第7世慶甫玄賀、第八世物堂宗接等、名僧が排出している。
 当山は、織田信長、信忠親子の菩提所となり、本堂裏庭に墓所がある。江戸時代に入ると、徳川の朱印地(32石)に指定されている。同じく江戸時代には、有栖川宮家の祈願所となり、昭和7年11月には、有栖川宮家最後の息女 實枝子女王(徳川御後室)が当山に御成になられ、位牌に新たな戒名等を記されている。当山十九世義勇和尚の内室は、有栖川宮家の養女であり、宮家とは因縁が深い。その他、稲葉一鉄が小僧時代を過ごした寺ということでも有名である。

寺 宝 ・ 見 所
 春には鶯が鳴き、満天星つつじが真っ白い花を咲かせ、秋には満天星つつじの紅葉が鮮やかである。なるべく年中、何かの花が見られるようにと、植栽に心がけている。
  織田家の免状・信長公書状・信長公画像・信長公茶掛・清洲城鯱瓦・信長公教訓の絵・信長、信忠公廟所・側室小倉なべ消息・血天井(岐阜城の床板)等………。
以上が織田家関係である。
  三十三観音第十四番は、慈覚大師作の聖観音である。指定されている物としては、独秀乾才禅師頂相、斎藤利匡画像、付喪神絵巻(鳥羽僧正非情成仏絵巻)があり、付喪神絵巻は、京都東寺より伝来した物で、大変貴重な作品であり、国内は勿論、フランスなどにも出品されている。
  その他の作品としては、徳川関係、稲葉一鉄関係のものが展示されている。非公開としては、加藤清正持仏、金岡十六羅漢、牧渓観音、雪舟画、定家書状………等あり。
年中行事
1月15日 大般若会
3月 彼岸会
4月8日 花祭り
5月7日 開山忌
7月・8月 棚経回り
7月 夏休みより10日間 お経と座禅の会
8月1日 山門施餓鬼会
8月5日 小施餓鬼会
10月第一土曜日 信長祭・信長公追悼供養
11月 ビハーラ長良主催のコンサート
12月31日 除夜の鐘撞き
月一回ビハーラ長良学習会   月一回喫茶法話   月一回写経 
月二回くらい御詠歌


 
 
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