十一面千手観世音菩薩




交通アクセス・周辺地図

【電車・バスの場合】名鉄岐阜駅、JR岐阜駅より岐阜バス「西鏡島」行、「市橋」行に乗り鏡島弘法前下車徒歩2分、JR西岐阜駅より徒歩15分

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寺 史

 天平10年(738年)行基菩薩が十一面千手観音菩薩像を自ら彫られ安置されたのがこの寺の始まりです。弘仁4年(813年)創建開山である弘法大師は、嵯峨天皇の勅命を受け、当地の御巡錫になり、秘法を修すること37日間、宝鏡を龍神に向けられるとたちまち滄海がたちまち桑畑になりました。よってこの地を鏡島と言います。弘仁5年には、七堂伽藍、塔頭5ヶ寺、鎮守等が造営されました。大師は、堂前に散杖の梅にたちまち枝葉が出たので、この寺を梅寺と呼ぶようになりました。
  弘法大師の自詠の歌
   さしおきし 枝も逆枝え 梅の寺 法もひろまれ 鶯の声
 「日本三体厄除弘法」として知られ、弘法大師の命日21日には、参道から露天店が並び参詣者で賑わいます。


住職からのご挨拶、法話、メッセージ

 十一面千手観音菩薩は、千本の手でどのような人々でも一人も漏らさず救済しようとする慈悲の広大さを表しています。 千の手で人々を見守り、危機に際しては、その手を差し伸べすべての人々を救うという大慈悲の菩薩様です。乙津寺の千手観音菩薩は、行基菩薩の作といわれ、高さは、109センチ、檜の一本造りで漆箔である。合掌手から上腕まで彫り出し、頭上に11の変化面があり、脇手、合掌手、宝体を持つ手を合わせて、十一面四十二臂の姿をとる千手観音菩薩である。
 四十二臂については、合掌手を除く四十手各々が二十五界を救うとして千手といわれる。また端正な顔立ち細身の体は彫りも浅く衣文もやや形式化して穏やかである。
 大正3年(1914)8月25日に国宝に指定された。


寺 宝 ・ 見 所

山門

散杖の梅


十一面千手観音のある国宝安置殿


年中行事
2月3日 節分
毎月21日 弘法大師縁日


 
 
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