天平10年(738年)行基菩薩が十一面千手観音菩薩像を自ら彫られ安置されたのがこの寺の始まりです。弘仁4年(813年)創建開山である弘法大師は、嵯峨天皇の勅命を受け、当地の御巡錫になり、秘法を修すること37日間、宝鏡を龍神に向けられるとたちまち滄海がたちまち桑畑になりました。よってこの地を鏡島と言います。弘仁5年には、七堂伽藍、塔頭5ヶ寺、鎮守等が造営されました。大師は、堂前に散杖の梅にたちまち枝葉が出たので、この寺を梅寺と呼ぶようになりました。
弘法大師の自詠の歌
さしおきし 枝も逆枝え 梅の寺 法もひろまれ 鶯の声
「日本三体厄除弘法」として知られ、弘法大師の命日21日には、参道から露天店が並び参詣者で賑わいます。