当山は、103代後花園天皇の文安2年の時美濃の司さ土岐左京太夫源朝臣成頼公により岐阜市方県安食の霊を此の地に移された天台の淨刹霊境なり。安食には何時の時代から在ったかは不明である。本尊聖観世音菩薩は御長、三尺五寸の尊像は聖徳太子の御作なり。成頼公は此菩薩の加護に預り玉はんが為に誓って聖堂を修理し奉らんとす。ある夜夢の中に何国ともなく客僧来たりて云く太守薩の擁護を得んと欲せば伽藍の東北にあたる手神村に移すべし彼所は感応の地ならんと告て化し去る。そのお告げにより此地に移す山号を旧きを改めず椎倉山名付けたり其の後天文年中斉藤道三に焼かれたれども本尊聖観音はつゝがなく御座る故草庵を結び是を安置す。其の後久しく営弁の折斯せず慶安2年の頃妙心寺月庭和尚此の地を住返す。林間に寄宿す中異香薫じ瑞光山谷に照り渡る。村人達を集めて尊堂を再建し今日に至る。以後妙心寺派となる。