関市は白山信仰が盛んなところに、その登山口として榮えた。市街の東部、津保川に沿った山麓に吉祥寺がある。
四方山にかこまれ、年中鶯の鳴き声をきく。当山の開創は、暦應元年(1338)鎌倉建長寺第二十三世、大応国師の法孫、峯翁祖一大和尚が開建した。
当初は、臨済宗建長寺派に属す。開山大和尚は、飛州黒川候の厚い帰依を受け、遠山の荘に明覚山大円寺を開くなど、美濃に親しく住まわれた。この間に吉祥寺を開山したと思われる、その後、久しく無住となる。
承応元年(1652)梅龍寺の広雲大和尚の弟子善仲禅師が長きにわたって再建復興に尽くされた。元禄7年(1694)梅龍寺第七世大徹法源大和尚のとき、妙心寺派に転じた。
元禄十四年(1701)本堂庫裡などを焼失した。延享二年(1745)現地に堂宇を建立。その後幾星霜を経て昭和五十六年に再建して現在に至る。
一方、当山の鎮守は、開山大和尚が黒川候のところで講議されていた時、川の瀬音に妨げられて聴けなくなった。その時、老人が現れて、瀬音を鎮めた。この老人こそ龍神の化身であった。以来、開山大和尚に随衛すること久しく、やがて水無明神として、下志津野、井ノ木の祭神にまつり崇められるようになったという。