当寺は、臨済宗妙心寺派の禅寺で龍興山祐泉寺と称する。
凡そ今より五百余年前、文明六年(1474)東陽英朝禅師(大道真源)巡錫の途次、この地に来り「ゆせな」と称した一草庵を「祐川庵」と命名、本尊に地蔵菩薩を迎えて修法の道場と定めたのを始めとする。以後、大仙寺(八百津細目)末寺に在り同寺領太田郷賀茂県主神社神田の経営を任命され、在地代官役として年貢の徴収にあたる。その後、約百数十年を経て寛永五年(1628年)庵号を改め法地の寺に昇格。第1世に広雲和尚(関市梅龍寺第十世)を勧請開山に迎え、その弟子徹禅和尚が創建開山した。
以後本尊に聖観世音菩薩を祀り龍興山祐泉寺と号して現在に至る。