馬頭観世音菩薩

  「馬頭観音」(バトウカンノン)とは、頭上に馬頭をいただき、忿怒相(フンヌソウ)をあらわす観音菩薩忿怒相からも知れるように八大明王のひとつでもあります。三面二臂、三面四臂像などさまざまな姿に造られ、小山観音は「三面六臂の立像」です。
その働きは、何といっても開運。降魔罪障を滅し、衆生の冥暗・迷いを照らし、悪趣の苦悩を滅尽するといわれます。煩悩を滅尽する働きが、あたかも馬が濁水を飲み尽くし、雑草をムシャムシャ食べる他念がない様子に似るためこの名があるともいいます。民間では、馬の病気平癒や安全はもとより、馬をはじめとした畜生界、動物すべての守護を祈願致します。小山観音では時代的地域的にも養蚕満足がつとに有名です。もちろん魚や牛馬、鶏でのお商売の方々が動物への報恩感謝の気持ちを込めてのご供養や、近年では犬猫ペット等への愛惜の情からのご供養も増えております。
                  住職  中西 東峰

交通アクセス・周辺地図

【電車・バスの場合】JR高山本線・古井駅下車、徒歩10分。名鉄広見線・新可児駅よりタクシーで10分。または東鉄バス八百津線(美濃太田・八百津間)にて「観音口」下車、徒歩3分。
【車の場合】東海環状線「美濃加茂IC」「可児御嵩IC」よりそれぞれ10分程。駐車場あり。大型車5台、普通車50台可。

周辺地図

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寺 史

 小山観音(こやまかんのん)の歴史は約八〇〇年、平安の末期、旭将軍と異名された木曾義仲(1154〜1184)が、この地で病死した縁りの若名御前の菩提を弔うためやってきました。飛騨川が荒れて渡れず困惑のその時、荒波の中から龍神が現れ、馬頭観音の尊像を捧げ来り祠ることを勧め、波を鎮めてくれたのです。義仲は大いに喜び、その観音像を奇岩の小島に奉安し供養したのがはじまりと伝えられています。
なお、その馬頭観音像は一寸八分のお姿で、若名御前の護持仏であったそうです。御前はこの地、下米田町山本で亡くなり今も若名洞と呼ばれ、苔むした宝篋印塔は市の指定文化財に指定されています。
また、室町時代の頃、市内上蜂屋のお島御前が子供を授かるようにと名所小山観音に百日の願掛けをしました。満願の夜、夢幻の内に白髪の仙人が現れ一枚の唐銭を呑むようにと授かりました。信に任せて嚥下すれば、懐妊の兆しが現れ玉のような男子を出産いたします。ところがギュッと握った左手の拳が開きません。大人たちは身体の不自由を心配する中、お七夜に至りて男子自ら徐に手を開くと、なんと、かの満願の夜呑んだ唐銭を握っていたのです。余りの有難さに、母であるお島御前は観音様への報恩にと「お前は観音様の授かり児、み仏様にお仕えしなさい」とこの子をお坊さんにしました。その子は母の願い心をよく聞き入れ懸命に修行して、岐阜市瑞龍寺の悟渓禅師門下八哲のひとり、仁済宗怒禅師となられ御本山妙心寺にも出世されました。故郷蜂屋に瑞林寺、西脇に光徳寺などを開創された高僧であり、禅師にあやかり子授けの観音様としても信仰を受け今日に至っています。
その後、お島御前と仁済禅師母子二代にわたって、かの唐銭「周元通宝」三百枚を集めて鋳造された一尺の馬頭観音像が奉納され、一寸八分の観音様は秘仏とされました。
そして時代は下り、常住の和尚を求めて明暦三年(1657)、小山寺が開創され今日に至っています。
尚、このような歴史の流れから、通称は「こやまかんのん」の呼び名のほうがよく知られています。


寺 宝 ・ 見 所
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@「飛騨木曽川国定公園」内に在り、参詣専用の「かんのん橋」を渡る折の景観は絶景というにふさわしい。ことに、春の四月上旬、桜花の時期は正に心華やぐ所である。

A小山寺本堂前には、菩提樹があり、初夏には白く細かな花があくまで優しく風にそよぐ様子は、実に爽やかである。

B同じく本堂前には、樹齢400年になるサザンカの大樹があり、山茶花の原種に近い一重の小振りな楚々としたピンクの花である。歳末に入ると、自然な樹勢の姿にビッシリと花咲き香る様は見事である。
年中行事
正月1日〜3日 初詣 (除夜の鐘より甘酒接待)
1月18日 初観音 (大般若祈祷会)
3月第1日曜日  初午大祭
5月5日 お花祭り (甘茶接待)
7月最終土曜日夜 ちょうちん祭り


 
 
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