*創建年代は不詳。古くは文安年間の位牌があることから、室町期からそれ以前に開かれた寺とみられる。
山県市高富の天台寺院慈明院が、もと穂積にあって持明院と称していた時に、観音院はその葬式寺であったとされ、観音院は元来天台寺院であった。
*その後に、開基一灯恵林という記録がある(立政寺末寺改暢)。恵林は、永禄11年(1568)信長が立政寺で足利義昭を迎えたとき接待役をした人物である。この一灯恵林の時に、観音院は立政寺末寺となり、浄土宗に改宗されたとおもわれる。
*江戸時代の初めのころ、観音院は水害などで荒廃したが、それを井上定次夫妻が、延宝4年(1676)再建を発願。水害常習地帯で寺院伽藍を再建することは大変な難行であったが、10年の歳月をかけ貞享3年(1686)現在地に堂宇を建立。敷地・藪畑・田地8反4畝余は、同村の富農錦見長太夫の寄進。
*明治24年10月28日の濃尾大震災で全壊。住職も変わる。変わって住職になった観淳は、さっそく庫裡を再興.それを小学校の仮校舎として開放し、翌年学校が再建されるまで、自らも教師となって多くの子弟の教育に努めた。
*その後も、災害があるごとに緊急避難所となってきた。昭和36年6月の集中豪雨で穂積町一帯が湖水化したときは、360人の避難民が2週間この寺で生活した。昭和51年9月12日「9・12水害」のときも、400人の避難民を収容している。