十一面観音菩薩

 当山、観音院は、長良川畔に建つ、室町時代創建とされる寺院です。古刹ではありますが、古くからの長良川の度重なる水害、それに伴う治水工事、そして濃尾震災により、荒廃・移転を余儀なくされた歴史も持ちます。
そのような中で、当山は地域の人々の尽力により幾度も再興・再建されてきました。境内は、塀に囲まれるでもなく、田舎のどこかほのぼのとした雰囲気でありますが、それも地域密着型の当山の織り成すものでありましょう。ときに近所の子どもたちの遊び場となっております。
しかしながら、この地域の信仰への背景に目を向けますと、尾張・美濃の国境にあり、度重なる戦の犠牲になってきた歴史。また、古より昭和の時代に至るまで、長良川の氾濫による甚大な被害と多くの犠牲を払ってきた歴史があります。
ほのぼのとした境内で、今日の平和に至るまでの地域の信仰への歴史背景にも想いを馳せつつ、お参りいただければ幸いに存じます。
       観音院住職 井上 淳龍 拝


交通アクセス・周辺地図

【電車・バスの場合】東海道線穂積駅で下車し、南へおよそ2キロ行った長良川堤防際。
【車の場合】
長良川右岸堤に沿う旧穂積集落の南端に位置する。国道21号穂積大橋より下流へ1キロ。墨俣一夜城より上流へ1.5キロ。

周辺地図

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寺 史

*創建年代は不詳。古くは文安年間の位牌があることから、室町期からそれ以前に開かれた寺とみられる。
山県市高富の天台寺院慈明院が、もと穂積にあって持明院と称していた時に、観音院はその葬式寺であったとされ、観音院は元来天台寺院であった。
*その後に、開基一灯恵林という記録がある(立政寺末寺改暢)。恵林は、永禄11年(1568)信長が立政寺で足利義昭を迎えたとき接待役をした人物である。この一灯恵林の時に、観音院は立政寺末寺となり、浄土宗に改宗されたとおもわれる。
*江戸時代の初めのころ、観音院は水害などで荒廃したが、それを井上定次夫妻が、延宝4年(1676)再建を発願。水害常習地帯で寺院伽藍を再建することは大変な難行であったが、10年の歳月をかけ貞享3年(1686)現在地に堂宇を建立。敷地・藪畑・田地8反4畝余は、同村の富農錦見長太夫の寄進。
*明治24年10月28日の濃尾大震災で全壊。住職も変わる。変わって住職になった観淳は、さっそく庫裡を再興.それを小学校の仮校舎として開放し、翌年学校が再建されるまで、自らも教師となって多くの子弟の教育に努めた。
*その後も、災害があるごとに緊急避難所となってきた。昭和36年6月の集中豪雨で穂積町一帯が湖水化したときは、360人の避難民が2週間この寺で生活した。昭和51年9月12日「9・12水害」のときも、400人の避難民を収容している。


寺 宝 ・ 見 所

例年8月10日に、千日参りを行っております。
千日参りの8月10日限定で十一面観音像をご開帳しております。
また千日参りには、檀信徒と地域住民手作りの大ちょうちんを掲げております。
そのサイズは、高さ8m、直径4m。
圧巻の大きさで、この地方の夏の風物詩となっております。

境内には、銀杏の古木が2本あり、観音堂脇のものは藤九郎銀杏です。

年中行事
2月 3日 節分会
3月最終土曜日 法然上人御忌会
8月10日 千日まいり
8月16日 盆施餓鬼
11月第1日曜日 十夜会


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