当山は800年以上の歴史を持つ密教寺院です。平安時代は吉田寺という名前で、清和源氏一族との縁が深かった様です。鎌倉時代に弘法大師法孫護忍上人が感得した十一面観世音菩薩をまつる為、吉田寺境内に観音堂を興しました。この尊像が、現在のご本尊です。時の帝後堀河天皇の眼病平癒に効験を発揮し、勅願寺となり、新長谷寺の寺号を帝より賜りました。八丁四面の吉田寺に七堂伽藍、塔頭十六ヶ寺を建立し、末寺百を数えたのがこの頃です。その後二度の火災に遭いましたが、その度に二階堂家(岐阜稲葉城主)や源氏の一族、山内家(山内一豊の先祖)らの尽力により復興しております。羽柴秀吉の攻撃も切り抜け、江戸時代には徳川家の庇護を蒙り栄えましたが、時代の流れにより境内地は20分の1に縮小され。塔頭も1坊のみとなりました。それでも約6000坪の境内に23の棟を数え、内8棟が国指定重文、3棟が市指定重文となっております。